hamalog

幾里人珈琲焙煎所 / 濱絵画教室 / SYON.inc

12年前の今日、私は派遣切りされその足でウィーンの地に立っていた

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時が経つのはなんと早いのだろう!

 

...冒頭から声を荒げてしまったが、本当にそう呟いてしまった。

 

こんばんは。 ハマキリトです。

 

 

 

皆さんも一度は耳にした事

(もしくは体験した事)あると思います。

そう、派遣切りという名の

闇系続唱魔法の名を。

 

遡る事12年前、私は派遣社員として

福岡に本社を置く某会社のコールセンターで

働いていました。

ある日いつもの通り出社すると、

入り口に紙が1枚貼られていて多くの人だかりが。

読んで目ん玉飛び出ました。

要約すると

「会社倒産したので派遣は全員契約打ち止めね」

そんな感じの短文が

弁護士の名前を添えて貼られていたのです。

しかも、

「あなたたちは部外者なので社内には入れません」

会社のロッカーに置いたままの

個別の荷物も持ち帰れないようです。

当然人だかりの中身は派遣社員の仲間達と、慌ててやってきた派遣会社の担当の人。

どうやら派遣会社にも

事前連絡がなかった模様。

分厚い扉に向かって怒号が飛び交います。

左右の壁にそれぞれもたれかかり、

うずくまる人も大勢いました。

 

 まさに地獄絵図。

 

 その年の私は別の派遣先も派遣切りになり

(全員契約終了。唯こちらは2ヶ月前から事前通告がありました)

懲りずに派遣会社を変えて再び真面目に働いていた矢先です。

 

 「この光景テレビで見た事あるやつだ」

 

 そんな事を漠然と考えていたのを覚えています。

ではなぜそのころの私が派遣という

仕事を選んでいたのかというと

 

時給が高い

●休みが比較的自由にとれる(有給もありました)

給料が毎日翌日に振り込まれる

 

最後のは特に重要で、絵の個展活動や

突発的に一人旅を行っていた私にとって

非常に都合がよかったのです。

しかし2度目ともなると

さすがに自分の働き方に疑問を感じました。

1度目で気づくべきだったのかも。

 

 取り敢えず両親に連絡してみました。

 

「あ、お母さん。俺派遣切りにあっちゃったよ」

 

「今それどころではない!」

 

「ごめんなさい現場からは以上です」

 

折しも父親のヨーロッパでの

個展の最終準備で父と母が

てんやわんやしていたタイミングでの電話。

両親の本音のみを耳に残し

僅か10秒ほどで通話終了。

 

その瞬間なぜかヨーロッパへ行く事を決意。

即旅行代理店に勤める友人に連絡し、

オーストリア航空のチケットを手配してもらうまで

5分とかかりませんでした。

 

 

「やっててよかった派遣社員(給料翌日払いだから航空券買えた為)!でももう二度とやらないけどな!!」

 

※あくまで個人の感想です

 

 渡航費用諸々自腹を条件に

父に無理やりついて行きました。

キラキラと輝くウィーンの街並みを見た時、日本での出来事が嘘のようでした。

唯の現実逃避かもしれないあの時の一連の行動に

12年経った今も全く後悔はしていません。

なぜならヨーロッパでの経験が

今の作品作りに生きているから。

 

 

12年後の私はひたすらに珈琲豆を焙煎し、

塗り絵を描き生きています。

当時の自分が見たらなんて言うのかな?

 

 

今夜はふと思い出したので

書き綴ってみました。

最後まで読んで頂いて

ありがとうございます。

 

 それでは、また。

 

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