「表現」できる才能
自分に特別な才能がある、みたいな話ではないです。(言えるものならいつか言いたい)
あなたが日々一番触っているものは?
なんて質問されたら「スマホ」と答えます。
そこはカッコよく『絵筆』とか『コーヒー豆』とか答えたいのですが、一日の流れを見るに断然触ってます。
朝目が覚めるとまずスマホの画面を見、顔を洗ってまた見、朝食の後またまた見...
毎日ではないのですがそんな日が結構多めで。
ほんの10年前にはスマートフォンなんてこの世界にありませんでした。
今ではすっかり当たり前どころか初めての携帯電話がスマホの方も多いでしょうね。
それに伴い様々なSNSサービスが爆発的に生まれ、普及したおかげで
自分の存在をまったく知らない人々に知ってもらえる機会が当たり前になりました。
私もありがたく利用させてもらっているので、すごい時代だと感じています。
それらを造り、提供している側はもちろんの事、利用する人間の適応能力は凄いなぁ、と妙に感心すると同時に、いい面とわるい面がより共存する世界にもなりましたね。
要は使い方ひとつなので、何気なく呟いた一言が会ったこともない人に影響を与えた(それも実にかなりの)、なんて事はそこらじゅうでたった今も電波にのせて無数に空を飛び交っているなんてとても不思議な感じが。
直接見えたら絶対気持ち悪いでしょうね。
あまり好きではない表現に「情弱」という言葉があります。
「情報に疎いひと」「最新の話題に付いていけていないひと」の略称だそうです。
その言葉を聞くたびに、心の中で「なんでもかんでも知っていればいいってもんじゃないだろ」と思うのです。
それぞれの専門家にはまず敵わないし、この便利な世の中
あなたが今握っている携帯で5分もあれば、ほぼ何でも調べることが出来るからです。
それでも足りないなら勉強するだけ。
ネットにある情報がすべて正しいとは思わないので。
ちゃんと本を読みましょう。
そう、なにも考えずただ「情弱」と呼ばれるのを恐れてばかりでは、
幼いころ近所にいたただの『物知りおじさん』になるのが目に見えて分かっています。
これだけ情報の洪水状態だから生まれた言葉なのかな。
大事なのは今の自分にとって本当に必要な情報を見定め取捨選択する力なので。
要は知らない方が遠くまで飛べる事もあるよ!って言いたいだけなのですが。
(命に係わる事等はちゃんと調べよう!)
だからこそちゃんと咀嚼して自分の言葉として表現できるのは才能なんです。
輝いて見える人は須らくその努力をされている方々ばかり。
●twitterで呟くのも表現
●InstagramにUPするのも表現
●blogに記すのも表現
●身近な人に自分の気持ちを伝えるのだって表現
●第三者に伝わるすべてのことが表現だから、人それぞれでさまざま
●哲学的に言えば生きていること自体がひとつの表現
えっ、人って凄い!(錯乱)
よく分からなくなってきたので締めますが表現できるってすばらしいよね、って言いたいだけの話でした。(スマホもすごい)