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幾里人珈琲焙煎所 / 濱絵画教室 / SYON.inc

「何ができる」と「何かができる」の間で

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「何が出来る?」

 

それは聞いてくる相手によっては少しカチン、とくる言葉。

尊敬していたり大好きな人から聞かれると嬉しい言葉。

前者と後者ではその言葉の意図がまったく違う。

私も何度も痛い目を見ているのですが、言葉は本当に難しい。

使い時や相手によってまったく違う意味になるから。

 

初対面でいきなり肩書をあいさつ代わりに聞いてくる人が多すぎる。

そんなに大事な事かな?

いつも思う。

「はじめまして!」

「よろしくお願いします!」みたいな始め方のほうがよっぽど気持ちがいい。

でもそれは自分を誰も知らないからという結論でいつも終わる。

悔しいなぁ。

せめて時々再会する人くらいにはいちいち説明しなくても今の自分の情報が

一つでも伝わっているようになりたい。

そして最新情報を伝えたい。

その時相手に楽しんでもらえたら最高だ。

 

小学校時代、学芸会の演劇は必ず主役になれないと自分が許せなかった。

(結果、中高学年は毎年必ず主役を演じる)

舞台から見える観客席は全員自分を知っていたから気分が高揚し気持ちがよかった。

自分という存在を認めてほしかったからだ。

そのまま社会に出てもそうなれると信じていたがもちろんそんなわけはなく、

だれも自分の事なんて知らないしそもそも人はあまり他人に興味がないのだと知った。世界はあまりにも広すぎた。

学校規模の小人数でのぼせ上り、完全に勘違いしていた私の頭はほどなく冷めて

つまらない大人の階段を上がっていたのだ。

あまりにも無力で惨めな気持ちだった。

 

一つの事をやり続け秀でることに重きを置く美学がこの国にはある。

日本人の性格に合っていると思うし美しいと思う。

だからといって全員そうである必要ではないし、逆に色々なことができる人も

同様に凄いと思う。

色々な人がいて皆少しづつ違うからおもしろいのだ。

誰かと同じになんてならなくていい。

でも少しでも自分の事を誰かに知ってもらいたいなら発信し続けなきゃいけない。

私がそうであるように(その割にここは全然更新してませんねごめんなさい)

幸いに今の時代は様々なSNSがあるお陰で「自分発信」がネットさえあれば

だれにでも出来る。

下手くそなりに続けていきたい。

凄い時代に生きていることに感謝している。

 

「何かができる」

 

あなただって私だって。

 

きっと。